株式会社PARAT

2020/11/30 俄(にわか)かエンジニアとして50年近く

俄かエンジニアと呼ばれて、7年。
一瞬「むっ」、とするのだが今まで看過してきた。
長いお付き合いしているお客さんとの会食の際に愚痴るのだ
「胡散臭いエンジニアと呼ぶんです」
「そのような言い方はしていません」
「インチキだったかなぁ」
「・・・・・・」

大学を卒業し、家業を継ぐのを避けるために今でいう派遣の形でダイハツ工業の内装設計部に潜り込んだ。

工業高校ではT定規、大学ではドラフターでの製図であったのだが。

当時は、軽自動車を原寸大で描くために□100mm方眼のマイラー紙が現図台に貼られていた。
先端を平ノミ状に削った硬度Bの替え芯をセットしたユニホルダー(芯ホルダー)を強く握りしめ這いつくばってセンターピラーを三角定規二つを組み合わせながら作図していた。
二年後、デザイン室でCAD導入を検討していると家業を継承しようとした際に聞いた。

家業も安全機能付きでないプレス機械メーカとして使命を終えており、メカからメカトロへの転換期であった。
40年以上も前である。

俄仕立てで自動機メーカへの変身を迫られた。
大学といっても夜学に通っていたので3年間ほど設計事務所に勤めた関係で自動機設計の見習いとしての経験は積んでいた。

高度経済成長の流れによる間断なき設備投資の渦に巻き込まれながら、毎年3割成長を成し遂げた。
モータ(カム)→エアーシーケンス、NC制御との出会いは、層間テープ巻き機能付き巻き線機の受注からである。
ユーザやブレーンの協力を得て、会社を大躍進させる受注を得た。
同時に自動車部品の後工程である、組立ラインもTIE(TOYOTA・IE/TOTAL・IE)思想に基づいての手組ラインを手掛けてこれもヒットした。

バブルが弾け、ゼロからの出発。

2年間の技術顧問という名の浪人生活で自動車・電子部品専用機でないコンビニ向けのフロアマシンの開発に携わった。
それなりには売れた。40歳の曲がり角。

PARATを創業して10年、メイン製品を持たなくて悶々としていた時である。
携帯電話用カメラモジュール設備開発の依頼に飛びついた。
世界で初めてのMEGAレンズユニット全自動組立機開発、周辺装置の開発を含めいい気に大きな波を掴んだかに見えたが、数年で携帯バブルが弾け撤退を決意。

その時2008年に俄かに飛びついたのがセラミックスノズル内でのはんだ付工法。
その時に入社した財務担当(現COO)が3年後にユーザ訪問の際に言い放った言葉が
「うちの社長は俄かエンジニアですから」

ずーーと、なんでやねんと不満を募らせていたが今、振り返ると、誉め言葉やないですか。
お客様の課題を仕様書として即座にまとめ、ラフ構想する。
スタッフやブレーン、訳知りのお客さんと論議しまくって短期間に開発を進めていく。
大企業ではできないパフォーマンス、それが「俄かエンジニアリング」。

俄雨と女の腕捲り。
大したことはないという例えだが、COOはここを突いているのか、新しい技術を直ぐにモノにし、事業化できるからと思っているのか、確かめるのは怖いので質すことはしない。

ただ、今日から自称「俄かエンジニア」。
RZ事業は道半ば、今まで以上に世の中に貢献できる技術を提供していく。

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■REMOTE-ATサービス中。
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注意喚起しながら、難波工場でのはんだ
付評価を再開中。
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