指折り数えれば今年、4月1日から30期目が始まる。
1995年1月1日が創業日、2週間後に阪神大震災、
創業者2名は大した損害が無かったが、マンション
住まいのスタッフの部屋は家具類が瓦礫と化していた。
1994年11月にナカテック時代にお付き合いがあった
設計事務所代表の叔母が営む花見小路にある
一力茶屋の斜め向かいの祇園のお茶屋に
お招きいただいた。
二階の座敷に上がり鎮座する3人、緊張で平常心
も揺らぎ上がりっぱなし。
「中さん、今日はぱらっといきまひょ」との
女将の一言で場が寛ぐ。
一度畳んだナカテック、一度最強のサラリーマンを
目指し、技術顧問で会社勤めをしたが1年半で挫折。
お誘いいただいた設計事務所代表が言った。
「旗降る人は、やっぱり会社興さんと」にも触発され、
成れの果て創業を決意。
社名は決まっていなかったが、女将の言葉に「!」
鉄工所の息子に生まれ小さな鉄工所を何とかしな
あかんで頑張ってきたが若気の至りもあり力なき者と
して尽きてしまった。
そうやなぁ「肩の力を抜かんと一生懸命だけではもの
づくりでは長続きでけん」。
「皆な!会社名はぱらっといきまひょや!」
社名は決まったに見えたが、長すぎるとクレーム。
「いきまひょ」はDO。
「ぱらっと」はローマ字でPARAT。
社名が決まった「PARAT DO」の誕生。
東大阪名物ガレージ倉庫を借り、機械団地で中古
機械を調達、3人で営業・設計・加工・調達・組立、
搬入・現地立ち上げ。資金繰り、経理、会議は
居酒屋で口角泡を飛ばしながらその日を凌ぐ日々。
手のひらの皺には油がこびり付き、作業服はいつも
真っ黒け、薄い壁一つの隣にある挽き物屋からは
油煙とダクタイルの粉が忍び込み、鼻の中も真っ黒黒スケ、
振返れば過ぎさりし日、まさにIRON WORKSを肌身
で感じた時代が走馬灯のように蘇る。
家電業界の低迷で大阪の仕事に変化。
はんだ付ロボット開発までの山谷曲線、
いかに乗り切ったか、<次週に続く>