「この部屋が本田宗一郎が使用する部屋です。」
ナカテックの時代に知り合ったホンダの工場長に鈴鹿工場
をご案内していただいた時のエピソード。
昭和のものづくりの立身出世者といえば、家電の松下幸之
助、自動車の本田宗一郎である。
学歴がなくても大きな会社の社長になった、田中角栄も総
理大臣になった。
戦後育ちの若者の心を鷲摑みした偉人達だ。
「社長と同じ年齢の親父がSOUICHIROと名付けたんです」
PARATの最新秘密兵器、多列多点同時はんだ付ロボット
を評価機として購入したいと自動車部品メーカの生産技術
者がやってきた。
土佐の高知のいごっそう(異骨相)、傘屋を営んでいたのだ
がビニール傘に押されて止む無くサラリーマンに転身。
晩年なんと、会社を友人と起業し、傘の花を咲かせた。
退職金で買ったのがなんと「ポルシェ」、なんとダンディなお買
い物、苦労したご褒美が一番好きだった車に大枚を注ぎ込
む。「そんな父が付けた名前が宗一郎でした」
大阪日本橋のミニ四駆ステーション ショップに行くのもその影
響なのだ。
車が好きで選んだ自動車部品メーカ、ホンダが生んだ奇跡
のオープンスポーツカー「S2000」の話をしても「?」という若手
ばかり、時代が変わったと嘆く宗一郎。
ホンダ朝霞工場に一軸ねじ締め機を納品した際、担当して
くれていた班長が鈴鹿8時間耐久ロードレースに出るのが楽
しみで入社したと言っていた。
今やHONDAは、2040年までに新車販売の全てを電気自動
車(EV)と燃料電池車(FCV)にすると宣言している。
リスペクトしていた親父さんが心臓手術し、今、リハビリ中。
なんとか孫と遊び、食事を一緒にできるまでに回復した。
久しぶりにPARATにご来社いただいたSOUICHIROさんを、
上町FAB・中津LOGIX・梅田本社と3拠点ご案内申し上げ
た。ガラケーに着信音、1万歩以上歩きましたと、銀メダルが
付与された。
「親父も、同い年の中さんのように元気に歩き回ってくれたら
いいのに」
ふと我に帰るような言霊。
「今の会社がもし潰れたら、入社したい会社がPARATさん
です」
ハイオクをぶち込んでくれたお客様に深々とお辞儀をしお別
れ、清々しく家路についた。