エレベータの扉が閉まる、ベテランと若手のスタッフが深々と御
辞宜をしていてくれる。胸の迫るものが込み上げてくる。
ここは御堂筋献血ルームCROSS CAFÉ、8月21日に400
ml全血献血を終えた。血漿(成分献血)なら70歳のお誕生
日までなら出来ますよとのお声がけに人生最後の記念献血を
することになった。あれこれとすることが多いファイナルステージ、
最後の出勤日である11月1日の前日にあたるハローウインで
街が色めく夕方に時間が取れた。
「わざわざ、最後の献血のために、ありがとうございます」と部門
、部門で声を掛けられる。
ほぼ男の世界で身を置くおじさん、ちょっと恥ずかしいを覚え、
かわいげもなく不愛想に軽く首肯する
血の気が多いから献血で頭の湯気を冷ましてくださいと、COO
に懇願されたので2014年難波工場OPEN時から献血ミニマ
ム期間の12週間で通い続け、36回目で最期を迎えた。
PARATとも外部からであるがお役に立てる事だけに専念し、貢
献していく関係が続く。必要無ければ無罪放免であると言いた
いが生みの親として行く末までも見守り続けていたい。
成人式や大学の卒業式には出席しなかった、セレモニーを終え
た友人が集まる宴会場で幹事を務め形ばかりのセレモニーにを
冷ややかに見ていた、天邪鬼(あまのじゃく)窮めり。
PARAT以外の仕事もそれなりに続けていく、よって一筋の涙を
流す惜別の感は天邪鬼としてこれっぽっちもない。
ただ、最後には弱った「これで終わりか、もう血が抜けない」。
お二人から「長い間ありがとうございました」をいただく。
止めて感動するやないか。
地下鉄心斎橋駅でゾンビにお化けし、はしゃぐ若者達を見か
ける。一時間かけて血小板や血漿といった特定の成分だけ
を採血し、体内で回復に時間のかかる赤血球は再び体内に
戻す成分献血した正真正銘の年老いたゾンビ。
五臓六腑に英気を注入するために街を徘徊し、静かに杯を
傾ける。
1954年に生を受け、70年。
2001年6月24日「初めてのインド」からパラットニュース物
語が始まった。物語には始まりはあるが生きている限り終わ
りは無いと書き記していた。
1000回以上配信し続けている、来週からは少しばかり70
年の歴史をこの紙面で紐解くことにする。
目先は、新会社株式会社カモコのレンタルサーバーを契約
し、メールドメインを取得。ホームページも企画立案しデザイ
ンする神戸で知り合ったSEと11月以内に完成させる。
目が回る忙しさ、貧乏も金持も暇なしはこれからも続く。