両親は、和歌山県日高町出身、父方は建具職人で親
戚縁者にはプレス機械メーカとしてそれなりの規模の立身
出世者もいる、父は東芝で丁稚奉公した後、貧しいなが
らも復興の明かりを探している最中に到来した好景気。
朝鮮戦争に伴い在朝鮮アメリカ軍、在日アメリカ軍から
の朝鮮特需(ちょうせんとくじゅ)である。
親戚の鉄工所で働きながらプレスメーカとして独立したい
と夢を語る男の元に嫁いだ母。
戦後で男が少なくてしかたなく結婚したと大きく笑いなが
ら良く語っていたのを思い出す。酒米庄屋の長女、おお
らかな育ちが功を奏したのだろう朝鮮人や地方からの人
々が住むどろどろしたいかがわしさが残る大阪生野区の
平屋長屋で新婚生活を始めた。
2歳の時、プレスメーカとして公約通り独立した様だ。
遊び場がない、トラックの後ろに飛び乗って疎開道路まで
ただ乗りするか、低い屋根に柔らかボールを投げ鬼ごっこ
したり、べったん、ビー玉と舗装されていない路地で遊ぶ
のが精一杯の遊び。
長屋裏にあった鉄工所も遊び場の一つとして加えられた。
モノ作りのデビューが3歳からとよく口にするのは、物心付
いた此の頃からの刷り込みが意思決定に影響している。
役員定年までのベクトルを決めたのが此の頃じゃないと
鉄工所の思い出を述懐する。
油でもいろいろな臭いがする、切削時に使う機械油の臭
いは石油が焼けたような感じ、焼き入れに使う重油の臭
いは、コールタールの臭い。
決して嫌でなかった、今でも機械加工現場に足を踏み
入れると加齢臭を凌ぐ臭いに五感が騒ぐ。
鉄工所を「IRON WORKS」と良く言ったものだ。鉄が働
く、動いて仕事する。鉄と鉄がぶつかる音、擦れる音、き
しむ音、餓鬼にとっては腹の底から揺さぶられる感動をお
覚える鉄の存在感。
おどろおどろしいと言えば、ゴジラは1954年生まれの同
級生、「IRON WORKS ROBOT」が漫画になった鉄人
28号は、2歳の時に漫画雑誌「少年」で連載が始まっ
た。
荒々しい感動だけでない、青地に白い線で描かれたプ
レス機械、読めはしないが緻密で目を奪われるインテリ
ジェンス、青写真には5歳の時に発刊された少年マガ
ジンやサンデーにも劣らない魅力を覚えた。
<人生のベクトルが決まった現場2>
キュキュとリズミカルに切削した加工面に模様付けして
いく職人さん・・・・・・・。
小さな子供が365度アイアンワークスに囲まれていく
その先は・・・・・。