商いはリアルタイムに現生(現金)の入りと出とを計る
格闘技。生きる糧は現金収入、商いは何人にも求
められる生きるための術(すべ)である。
学校での偏差値は決められた学びごとへの習熟度、
社会に出れば決めごとが異なりそれぞれの会社や仕
事に対する偏差値が求められる。学校と社会で求
められるモノの差が年々大きくなってきている。
学校では集団生活を学ぶ過程として重要だが学び
ごとはYOUTUBEで十二分に補える。
学生時代学び損ねた人には十二分に知識を得る
手段はネットを通じで可能となった。
足踏みペダルを漕げば飛び込み式ピンクラッチが作
動し、空回りする大きな歯車の回転エネルギーが
クランクシャフトで直動に変換されスライダーに取付
けた金型によって欲しい形状に加工される。
シンプルだが子供にとって感動のパフォーマンス、鉄
工所にとっては販売し、お金を回収して初めて商
いが成り立つ。
往々にしてだが職人は、販売とお金の回収が苦手
な者が多い、中鉄工所もその一つであった。
夜遅くまで仕事をしていても家は火の車、母親が
内職をしながら鉄工所を支える姿は能天気な長
男でも薄々感じる。
当時徘徊したブローカ(仲買人)は、生き馬の目
を抜くぐらいのやり手が闊歩しており、値段は目一
杯叩くがお金の支払は遅い、払わない輩もいる。
家計を遣り繰りする母親が「XXXXさんと仕事し
ないで、あそこの若い社長の様にもっと厳しく人と
接して」と度々耳にした。
猫撫で声で近寄ってくるおじさんの裏に潜む顔を
今でも浮かんでくる。
造るだけでお客様は選べばない、選べないからの
貧しさ、まさに儲かるからと起業をしてのはいいが
商いになっていない。
PARATの様に販売力が無ければ、支払いが良
い一流の顧客を選び、選ばれればと思うのは必
然であった。
<一流だからこそ一流を選ぶ、選ばれるために>
いい会社から仕事が欲しいと足掻く(あがく)が実
力が伴わない・・・・・・・商いは難しい。