PARAT NEWS

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ぱらっといきまひょ 人間万事塞翁が馬、意志の赴くままに1
2025/02/17 PARAT NEWS

古希になるまで古希からもサラリーマンとしての身分で職に

就いたことが無い人生。

最強のサラリーマンだとして粋がっていても所詮鉄工所の小

倅、学卒後の2年間は、友人の勤め先からの繋がりでダイ

ハツ工業の役員を通じての派遣社員。最強のサラリーマン

と思ってはみたが技術顧問、浮き草のような根無しに胸の

中のざわつきは抑えられない。

生きて来た性(さが)なのだろう、根を張る場所を求めるよう

に身も心も動き始める。

ナカテック時代にお付き合いした、懐を遣り繰りしながらお客

様や仕入先とも定期的に飲む機会を設けていた。人生の

蹉跌を迎えた輩でもお付き合いしてくれる人達のご厚情に助

けられた。

「中さんのように旗を振る人がいないと経済廻りません是非、

もう一度会社を興してください」とお声掛けしてくれた。設計

事務所の社長が40歳を迎えた午年オヤジの尻(ケツ)を叩

いてくれた。最強のサラリーマンとしての思いがいとも簡単に音

を立て壊れて行く。不安をかき消しながら、さぁ、腰を上げ、

目線はあの山の彼方の未知の世界へ、動き出した。

 

古希を迎えて回顧しているが、40歳なんてまだまだと思うの

だがその当時は、定年退職後のような悶々とした日々を過

ごしていた。光明をいただけた設計事務所田原社長に「あり

がとうございす」、と改めて京都山科に向かって頭を下げる。

「子曰(のたま)わく、吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、

三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、

六十にして耳従(したが)う、七十にして心の欲する所に従い

て矩(のり)を踰(こ)えず。」

 

同じ会社でちゃんとしたサラリーマンの道を歩んでいたナカテッ

クで設計開発をしていた実弟と経営企画を担当していた女

性スタッフが以心伝心で逸早く抜け出し、独立準備を始めた。

40にして惑わず、リベンジの道を選ぶために次年度の技術顧

問は辞する事を宣言し、1994年の秋を迎える。

 

東大阪名物ガレージ工場を契約し、仕入れ資金も手元に準

備する中、田原社長から祇園のお座敷へのお呼びが掛かった。

 

<人間万事塞翁が馬、意志の赴くままに2>

何の売りげ保証もなく再び、ものづくり会社を起業したのだが

、ゼロからの起業準備はそれなりに不安を頭の片隅にしまい込

む効果がある。「叔母が祇園でお茶屋をやっていまして、創業

祝いで席を設けましたので」と電話が入る。

そのお座敷で、社名が決まった。