破産したのは会社だけでない銀行保証人をした会社の会
長(父親)と社長も破産した。清算のために三つあった不動
産はすべて差し押さえられた。
お陰様で如何わしい債券がなく、個人資産をすべてを公明
正大に開示。毎週一回破産管財人に協力した事により、
破産手続きが粛々と進んだ。
破産者は取締役の欠格事由で社長になれない(2005年
から問題なくなった)ので個人会社からスタートした。
管財人弁護士事務所で弁護士を目指していた事務方
が大学の後輩であった。「ご自宅を競売に掛けますが、誰
か親戚縁者で買う方居られませんか」、バブル崩壊で沢山
の抵当物件が発生していた。
なんと母親が遺産相続で臨時に現金収入があり入札者
として自宅を買い戻す事ができた。
会社宛の郵便物が管財人に届けられる。ある日「中さん、
雑誌に記事が掲載されているよ」と見せられた。
「敗軍の将、兵を語る」というタイトルで日経ビジネスに記
事として取り上げられていた。当時は、商売繁盛するため
にマスコミに対するアピールを積極的に行っていた。
日経ビジネスにはナカテックワールド竣工の際に観光バスで
見学者が殺到する「快適借金工場」として華々しくTVや
雑誌、新聞で取り上げられていた。繁栄と破綻は常に経
営者に突き付けられる現実、少しでも生々しい体験をお
役に立てられればと物語の顛末記としてインタビューに応じ
た。
あれやこれやと時はあっという間に過ぎる、その年の秋には
ややこしい債務がなかったこともあり粛々と残務整理がで
きいち早く個人の免責がおりた。
個人会社PARAT DOから株式会社PARATDOの社長
として再起できる背景が整った。
<人間万事塞翁が馬、意志の赴くままに4>
破産者としての影が十年近く纏わりついてきた。
しかし、そのことがPARAT卒業時に超優良企業経営者と
して後進を譲れる地盤を築けた。
経験に無駄はない・・・・。