PARAT NEWS

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ぱらっといきまひょ 道頓堀には沢山の思い出が投げ込まれている
2023/09/25 PARAT NEWS

毎度、突然の大阪に行くから始まる出会いに一期一会を感じる。

今回もこれが最後の出会いかもしれない。

突然だがいつも新鮮な記憶に残る出来事がパラレルで

やってくるから不思議である。

21年ぶりにリーグ優勝した阪神、1985年10月16日に

カーネル・サンダースが道頓堀ダイブ、その年は、JUNちゃんと

取組んだTIE思想を盛り込んだ燃料ポンプの手組ライン

開発で初仕事が始まった。38年後の今でも脳裏に

1985年が焼き付いている。

近鉄ファンだが、JUNちゃんが大阪にやって来た週の9月14日、

18年ぶりに阪神がリーグ優勝。なんと翌週にオリックスが優勝。

CSをともに勝ち進めば59年ぶりの関西ダービーが始まる。

(1964年阪神VS南海)

 

それもそうだが米国からやってきた姉妹への大阪でおもてなしも

非常にエキサイティングであり、記憶に残るものであった。

この親にしてこの娘達である。

一軒目は、焼き鳥が食べたいと言うので日本橋にある「とり鹿」

にご案内。キモ刺し、皮、手羽先他数点をオーダー。

コロナや難波工場立ち退きで足が遠のいていたが

熟練の職人さん達に温かく迎えてくれた。

二十歳代からサーフィンをしていたのは記憶にあったが

今も続いているのか、数年前に波乗りで首を打撲、コルセット

を付けたままでなんと家族でエベレスト登頂、異口同音に

「お父さんは凄い!」と娘達。「です」と首肯する。

二、三軒梯子をしたいので席を立つ。

「ママからも言われています、私達がお支払いします」

素直に次世代の指示に従う。長女はトヨタが業務執行で

採用しているチームコミュニケーションツール会社

「Shrek」に勤め、次女はNPO。

ぶらりぶらりの観光の際、さり気なく高齢者に手を差し伸べ、

席を譲る所作を幾度も見た。今も心が温かい。

 

日本人が殆どいない19時のミナミ、道頓堀のリバーサイド

プロムナードを西進、グリコの看板に向かう。

色とりどりのネオンが川面に映し出させれ、風で揺らぐ様

は悲しみを持ち合わせた人ひとりの人生。

「このネオンが売りに出されたら買ってネ」ピンクのネオ

ンに魅せられたKANAちゃんに声を掛けられる。

「よしゃ」とオウム返ししたが「まぁええか」で歩を進める。

 

数々の蛸・龍・鮨・牛・ギョウザ、テーマパークのような

迫力ある立体看板の下を潜り抜け法善寺横丁へ、お参りの

仕方をお教えしてお不動さんのお地蔵に水を掛け手を

合わせる。今も尚、古希前でもワクワクする街だ。

 

二軒目は、民芸酒場「牧水」

次女のAYAちゃんが唯一、メートルを上げている、

それ以上にメートルを上げ上気してきたがまだまだイケイケ。

「名前が微妙にすべて間違っていますよ」

「Give Upしましょう」

「明日から淡路、高知仁淀川の旅」

 

<次週に続く>